『三ヶ島』由来


 ■地名「三ヶ島」の由来

所沢市三ヶ島   昔この辺り一帯はススキの原で、その風に揺らぐさまはあたかも大海原を想わせ、このなかにある民家の草葺き屋根が三軒島のように見えたので、「三ヶ島」という地名になったといういかにも昔らしい詩情豊かな伝説が有ります。

 ただ残念ながら、今日ではこれらの家名はよく判りません。

 ■三ヶ島村から三ヶ島へ

 明治11年7月「群区町村編成法」が制定され、同17年7月14日付埼玉県甲第43号達により、同年8月17日、「三ヶ島村」・「北野村」・「林村」・「糀谷村」・「三ヶ島堀之内村」を連合し「三ヶ島村」に。
所沢市三ヶ島
 明治21年市町村制公布にともない行政体の発展のため、同22年に「北野村」を分離し、大きい村の名をとり新たに「三ヶ島村」に。
所沢市三ヶ島
 昭和30年に自治体発展に伴い、衛星都市の一環として、同年4月「所沢市」に合併し「所沢市三ヶ島」となり現在に至る。



※備考 当時、豊岡ブロックを主張する人と所沢ブロックを主張する人に別れ、何度も議論をかさねましたが、当時村長であった澤田左宮氏の最終的決断により所沢市に合併することになりました。 

 ■所在県

時代 県名
1)明治元年武蔵県知事の管轄となり、同2年 品川県
2)同上、まもなく 韮山県
3)明治4年廃藩置県の結果 入間県
4)同6年 熊谷県
5)明治9年8月 埼玉県

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